シンゴジラ ゴジラの中の人は狂言師
狂言師の野村萬斎(50)が、映画『シン・ゴジラ』に出演し、シン・ゴジラを演じている事が29日、明らかになった。(オリコンニュース)

シンゴジラはぜひ映画館で見たかったのですが、タイミングを逃したのでツタヤでレンタルします。
気になって調べてみたらシンゴジラDVD(BD)のレンタル開始日は3月22日でした。とっくにレンタルもはじまってます。
オリコンニュースによるとシン・ゴジラ役が野村萬斎さんと言うことで、狂言の動きをゴジラに反映さえていると言うことです。でも何故、ゴジラに狂言の動きなんでしょうか?
そもそも狂言ってなに?
コトバンクによると以下の通りです。
日本の古典芸能。主として対話と所作による劇であるが,多分に歌,舞,語りなどの要素をも含み,その演じるところの中心は滑稽にある。その性質は,言語遊戯的なもの,人情の機微をうがつようなもの,風刺的なものなどさまざまであるが,概して無邪気な笑いを中心とする。(コトバンク)
コトバンクが意地悪なのか、僕の理解力が低いのか、とにかく少し難しいので狂言師の善竹富太郎さんに聞いてみました。


お笑いって聞くとなんとなく親しみやすいです。伝統芸能とか古典芸能と聞くと笑ってはいけないイメージがありますが、もっと気楽に見るもので安心しました。
なぜ狂言師にゴジラ役?
ゴジラ役にもっとも適したキャストと言われたら、僕はウルトラマンで有名な円谷プロを真っ先に思い出すのに、なぜそこを狂言師に頼むか不思議に思いました。
でも樋口真嗣監督は今まで人が入って撮影していたゴジラをCGでやるとなったときに、結局CGで人間が動きを入れなければいけない、そこに『のぼうの城』で縁のあった野村萬斎さんの狂言の会の再会で、狂言にはこの世ならざるものが演じられることに気がついたことがきっかけのようです。
この世ならざるものっていったい何を演じているのか、実際に狂言師の善竹富太郎さんに聞いてみました。


まとめ
蚊ではなくあえて蚊の妖精なのも興味深いですが、ちょっとどのように風に演じているのか気になりますね。
ツタヤでシンゴジラを借りたら蚊の精を演じてしまう狂言師が、どのようにゴジラを演じていたのかに着目しながらシン・ゴジラをみてみようと思います。
ゴジラの中身が野村萬斎、ということに関しては僕は関心が全くない。シンゴジラは観たけれど、あの動きは何処かなんか違うなんでだろうと、各所から関心のある声が上がれば大したものだとは思うけれど。何故なら、見巧者でないものにも、その目を引きつけるように演じよ、と世阿弥は教えているから。ただ、関心を人に与えるようにする点で、野村萬斎は、事あるごとに狂言の奥深さを伝えてきている。そこが偉いと思う。僕は友達が狂言師であるため、大抵の場合人を誘って狂言を見に行くけれども、そういう時、観たことのない人が、一度くらいならと言って、一緒に来てくれる。が、次にもぜひという人は稀だ。狂言とはお笑いだ、昔の、そして現代にも、と言っていたのでは、二回目に向かう人の関心度は低い。それなら松本人志の方が面白いだろうになってしまう。その点、僕がいつも感心するのは、野村萬斎はそこ、狂言には、この世のものならざる表現が潜んでいるというような、言い方をいつもしていることだ。この言い方には、古くなりえない表現がそこにあるということで、現代最高のお笑いにも負けない。人を二回目の観覧に誘導するものだ。実際、彼の言うこの部分を狂言師は常に意識すべきというか、それだけが狂言をとどめ、現代のお笑いに比肩するものにするのではなかろうか、と、僕は思うのだけれど、どうだろう。
おはようございます。
貴重なご意見ありがとうございました。
私もそう思います。
ダウンタウンのような現代の笑いには狂言は到底太刀打できないでしょう。
ただ笑いには様々な形があり、狂言が笑いであることは紛れも無い事実であります。
狂言の奥深さの追究や芸の精度を磨いて上げていくことは役者自身が自分の中で考えてそしてそれを舞台上で表現することだと思っておりますのでお客様には表立って言わないように私はしております。
芸の道で生きていく上では役者自身をお客様に好きになって頂くこともとても重要です。
これからも善竹富太郎は狂言の笑いを世界中に広めて参りますので、また機会がございましたら狂言の笑いを見にいらしてください。
この度はありがとうございました。